♯1 サニーが憂鬱

  2021/11/19
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鍮色の冷たいドアハンドルに手をかける。
この扉を開けていいのか。
もし今日も失敗だったら…?
セーラー服の少女は手をかけたまま、戸惑う。
『もう、帰ろうよ』
どこかから声がする。
薄暗いグレーの空からしとしとと小雨が降る。千葉みなと駅海側にあるジャズバー「クリッパー」。
ドアにかかる看板には「本日の演奏 4M2T チャージ無料」。
『早くうち帰って、ポテトくおーぜ、ナコ』
少女、ナコは唇をとがらす。
「ダメ」
勇気を振り絞り、音をきしませ重い扉を少しずつ開いていくと、ほのかに音楽が高まる。
セピア色に薄暗い店内はまるで古い船の船室のようだ。ステージではピアノ、ウッドベース、ドラムのピアノトリオ。ブルージーな演奏が地響きをともない耳に飛び込む。
猟場に入ってしまったウサギのように、ナコはそっと身をかがめて、カウンターに進む。

その奥にはマスターらしきおじさんが座っている。
「あの…ここ、中学生でも、入っていいですか」
 ジャズバーみたいな大人の店は中学生にとっては、敷居は山のように高い世界。周囲から槍のような視線を感じる。やり方とかしきたりとかわからないことだらけ。
マスターは眼鏡の奥でちらっとナコを見てから、頷く。
「音楽がお好きならどなたでも」
今日はチャージが無料の日だから入場は無料、そしてここはキャッシュオンデリバリー方式、つまりマックとかスタバみたいに先にドリンクを買って好きな席についてくださいと、とつとつと説明する。ソフトドリンクはオール500円。ナコはホッとしながらピンクの財布からコインを出す。
「ジュースはオレンジ、アップル、マンゴー…」
「マンゴー!」
ナコのバックから小さな声がとんだ。

のマンゴージュースのグラスを持って、ナコは片隅の椅子に座る。
椅子に置いたバッグがモゾモゾ動いて、くちばし、そしていたずらっぽい目のカモメが顔を出した。
「アル、しっ、出ちゃだめってば!」
カモメのアルメリアは手慣れたふうにストローをくわえるとジュースをすする。
「だってぇ。ナコったらお店入るまで一時間もウロウロしてさ。喉乾いちゃったよ」
「仕方ないでしょっ。こういうとこ入ったことないから」
「おっ。お目当ての人、手が空きそうだぜ」
 
ステージでは曲が終わり、拍手が鳴る。
ピアノの若い男が立ち上がり、マイクを持つ。
「千葉みなとに停泊するジャズの帆船クリッパーへ、ようこそ。ベース銀之輔、ドラムス、デズオ、そしてピアノ、アキラでお送りしました。二部まで休憩を」
ファンなのだろうか、女の子たちがイエイと手を叩く。

テトフライとカクテルを受け取ったアキラはバンドメンバーの銀之輔とデズオの待つテーブルに向かう。
「で、あの件どうなった?デズ」
「あの件ってどの件よ」デズオがポテトを次々と口に入れる。
「ボス怒らした件」
デズオがそっぽ向く。銀之輔が笑う。
「聴いてくれるなってとこだな」
そのとき小さな影が3人の後に立った。
「すみません、真中アキラさんはいらっしゃいますか」
アキラは店内には不似合いなセーラー服姿の少女を見る。
「アキラさんに伺いたいこと、ありまして」
デズオはアキラを親指で指す。
「ちなみにオレはデズオです。サインならいつでも」
デズオの頭を銀之輔が小突く。アキラはつぶやく。
「When Sunny Gets Blue…サニーが落ち込むと、その瞳が灰色に曇って、どんより雨が降り始める。だれかあの子を元通り、元気にしてあげて」
アキラは不安げな瞳のナコに微笑む。
「さっきの曲はジャズのスタンダードナンバーの『サニーが憂鬱』。いつも元気な女の子が恋に破れて、憂鬱になっている歌」
「…」
「で、聞きたいことは?お嬢さん」
ナコはアキラに一枚のモノクロームの写真を渡した。そこには優しく微笑む白衣を着た男性が写っている。
「この人、知っていますか」
アキラは写真を見て、ナコを見る。
「いえ。誰ですか」
「父です。千葉美雄造。3年前から行方不明で…」
アキラは写真を見る。
「ああ…確かに雄造先生だ。君は教授の」
「娘のナコです。探しているんです」
一途な表情のナコはバッグから古く茶ばんだ分厚い手帳を取り出す。
「父の手帳に、あなたのことがメモしてあったんです。何か、ご存じかと思って」
「…」
 びょこんと、バッグからアルメリアが顔を出し、デズオの皿のポテトを銜えるとまたバッグに引っ込んだ。
「ちょ、オレのポテト!オーマイガッ」素っ頓狂な声を上げるデズオ。
「デズ。騒々しい」
カミュの小説をめくりながらコーヒーをすする銀之輔がたしなめる。
「い、いまさ…リアルカモメがポテト盗んでくわえて、その子のバッグに隠れたんだよ!」
「おやま、シュールだこと」
「なんだよ、信じねぇのか」
「不条理物は嫌いじゃないが」
銀之輔の読む小説をポンと放り投げるデズオ。
「なにする」
「カミュだかカモメだか知らんが、意識高い系ぶりやがって」
「脳みそがポテトでできてるお前とは違う」
つかみ合いの二人をよそに、アルメリアはテーブルの食べ物を食べまくる。
喧騒をよそに、アキラはナコにそっとかがむ。
「ごめんね…」

がしと降る千葉みなとハーバーへの道を、ナコはひとり、歩いていた。
暗い波止場には通る者もなく、港の波間には街灯がにじむ。近くを走るモノレールの音だけが唸るように響いている。

アキラは3年前に一度、大学で恩師の雄造からメールを受け取っただけで、それからは一切連絡はないと言った。力になれなくて、と詫びた。
そして、「できることがあれば協力するから、絶対に連絡してくれ」とナコに名刺をくれた。仲間の二人も俺らも手伝うよと陽気に笑い、唐揚げやピラフをごちそうしてくれた。
見かけは近寄りがたそうな人たちだけど、とても優しくて、うれしかった。
でもやはり父の手掛かりは得られなかった。ナコはうなだれた。

如。波止場の灯りがすべて消えた。
紫の霧があたりに立ち込める。
海風が冷たく、ナコの髪や頬を撫でていく。
「…来たようね」

鞄から険しい表情でアルメリアが顔を出す。
「気をつけろ。やつらが来た」
海からタールのような黒い影が上がってくる。そしてヒトの形となり、ナコを取り囲んだ。
ナコは印を結び、身体の「気」をこめる。
制服が、みるみると「鎧」にメタモルフォーゼしていく。
影たちが体を伸ばし、ナコの身体にからまり、巻き付いた。
冷たく濡れたアスファルトにナコは叩きつけられる、とその瞬間、変身したナコは舞い飛び、からみついた影を断ち切った。影たちを根こそぎ切り裂いていく。
切り裂かれても再び合体し、総勢をなしてナコたちに襲い掛かる影。
「ナコ―ッ、助けて」
アルメリアの身体にもスライムのような影がまとわり、引き裂こうとする。
「アル」
ナコは父の古びた手帳を取り出した。開けると箱の空洞には赤い石の指輪が光る。
ナコは指輪をはめると、その手を波止場の夜空に突きあげた。
七色の閃光がリングから四方八方に散る。
「イカロス…!」
その瞬間。遠くで走っていたモノレール車両がレールを離れ、鳥のような姿に変わった。そして飛び出て、影たちに炎を照射した。
断末魔の声を上げて、ちりぢりに海へと逃げ去っていく影たち。
と、暗い海にさざ波が立った。
波間が真っ二つに割れ、黒い帆船が浮かび上がった。影たちは船へと逃げ帰っていく。
その舳先に立つのは三日月刀の槍を持ったフードの男。帆船に立つ顔の見えない男を見上げるナコ。
幽霊船のような帆船は再び沈んでいき、波間に消えた。
火の鳥となったモノレールは普段の車両の姿に戻り、レールにはまり走り去った。
ナコのびしょ濡れの肩に、夜空を旋回したアルメリアが戻り、止まる。
何事もなかったように再び静寂に戻る、夜の港。

発音を店で聞いたアキラはハーバーへと走っていた。
ナコが帰っていった方角だ。
ハーバーにはナコの後姿があった。
「ナコちゃん?」
霧がおおい、そして吹き飛ぶとその姿は消えた。
走ってくるデズオと銀之輔。
「ナコちゃんいたのか」銀之輔が呆然としたアキラを見る。
「…ああ、いや」アキラはつぶやく。
「キナ臭いにおいがするなぁ。いったい何があったんだ?」デズオはあたりを見回す。
ナコの去った闇を見つめるアキラ。
いつしか涙のようなしとしと雨は止んでいた。

『黒船みなと相談所』と書かれた木の看板のドア。ハーバーハウスの片隅の一角の小さな部屋で、ナコとアルメリアは身体を拭く。
「奴らのせいでとんだ運動しちゃったよ。羽、トリートメントパックしないと。先入るね」
そそくさとタオルをかぶるとアルメリアはシャワールームに消えた。
ナコは大切そうに雄造の写真を母・美奈の写真の隣に置く。
きっといつか会えるよね。
ナコは古い木の窓から、港を眺め、赤い石の指輪を見つめる。

思い出はそのうち色褪せる
前の夢が枯れ落ちたその場所から
次の夢はかならず生まれてくるさ

ナコの耳に潮騒とともに、アキラたちの演奏した「サニーが憂鬱」が流れてきた。

                   ♯1  了




注※店、港、モノレールは実際にありますが、おそらく実際とは違うかもしれません。つまりは作者の妄想、虚構、フィクションというわけです。

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千葉市中央区・千葉みなと発 『ローカルをサブカルでリリカルに!』 千葉市で暮らす人々のライフスタイル発信メディアです。
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