千葉一族盛衰記 第三話 千葉と蝦夷と平高望【2023年8月号】
「もののけ姫」というアニメ映画をご存じでしょうか。
アシタカという名の少年が呪いを受け、その呪いを解くために西に旅立つことからはじまる冒険譚です。このアシタカ少年は、いわゆる蝦夷(えみし)の一員として描かれています。「もののけ姫」の時代背景は、鉄砲が描かれていることから室町時代以降であることがわかります。その時代には本州の蝦夷は滅亡寸前ですが、これからお話しするのはそれよりもずっと前の平安初期、朝廷と蝦夷が激しく争っていた時代についてです。
桓武天皇の事績のひとつに「蝦夷討伐」があります。日本の東側には、天皇を中心とする朝廷側の人たちからみれば「蛮族」である蝦夷が大勢住んでいました。その蝦夷を討伐して北へ北へと追いやっていったのが、平安時代直前までの「朝廷側の歴史」です。
この時代に朝廷に屈服し、朝廷の社会や制度に組み込まれていった蝦夷は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれました。いったんは朝廷の権威に屈服した俘囚ではありますが、彼らに対する扱いが差別的、搾取的であれば不満は蓄積されます。そんなわけで、桓武天皇以前に千葉県一帯でも度々「俘囚の反乱」が発生しました。9世紀後半の「下総俘囚の乱」、「上総俘囚の乱」などがそれにあたり、歴史に残らない小競り合いも含めればかなりホットな状況であったことでしょう。
苗字を下げ渡された皇族「平高望」
諸説ありますが、平高望(たいらのたかもち)は桓武天皇の孫です。つまり、皇族です。
昔も今も皇族には苗字がありません。例えば、現在の天皇陛下のお名前は徳仁(なるひと)、称号は浩宮(ひろのみや)、お印は梓(あずさ)、敬称は陛下であり、苗字はどこにも見当たりません。
なお、平高望の皇族時代の名前は「高望王(たかもちおう)」です。では、皇族であった彼がなぜ「平」の姓をいただいたのか?都人であった平高望の上総への赴任と俘囚の関係は?
次回はいよいよ、謎の多い「未開地のパイオニア」平高望のお話です。
【著者プロフィール】
歴史噺家 けやき家こもん
昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。