千葉一族盛衰記 第七話「平将門の伝説と千葉一族」【2023年12月号】
平高望の息子たちは、現在の千葉県を中心とする、いわゆる「坂東の地」に地盤を固めました。いわく、国香は現在の茨城県、良将は下総国、良文の初期は武蔵国、という具合です。
このうち、良文の直系が後に千葉一族になります。その良文の兄である良将の息子が平将門でありその将門の娘である春姫が、後に良文の直系に嫁いだ、とする伝説があります。この伝説をもとにすれば、千葉一族には将門の血統が入っている、ということになります。
いわゆる同族婚の説明をするとややこしくなりますので、この説の家系図をのせておきます。本説は、「将門伝説―民衆の心に生きる英雄―(新読書社)」に掲載されていますので、ご興味があればぜひご確認ください。
将門に関する史料はとても少ないうえ、戦前戦中には「逆賊将門」という文脈で将門関連の書物が焚書されてしまったこともあり、そのあたりの文献的な裏付けをとることはできません。
他方、①血統を守る目的で当時は貴族同士の同族婚が活発に行われていたこと、②伝説とはいえ現在の柏市岩井にある岩井将門神社にそれらの伝説とともに春姫信仰が残っていること、③将門が起こした乱の折に良文は将門側についた、あるいは静観した可能性が高いこと、などから、まったく問題外の説ともいえないものがあります。
以上のとおり、かの有名な将門の血筋は、色濃く千葉一族にも流れている可能性があるのです。
いずれにしても平将門は、関東の武者の草分け的存在です。彼が誅殺されるまでの事績を追うと、後に関東で幕を開ける「武士の世」の原型を見出すことができます。
武士の世といえば源頼朝公。その頼朝を助けて鎌倉幕府の成立に大きな貢献をしたのが千葉常胤公。となると、ここで平安の中期に大暴れをして武士のなんたるかを粗く定義づけた「常胤公のご先祖様」の生き様を確認することも大いに意味があります。
そこで本稿から数回は、千葉一族からちょっと脱線して、高望王流初期の有名人、平将門についてお話しします。
平将門とその時代
将門が活躍した平安時代中期は、早くも律令制をもとにした中央集権国家体制が崩れ始めた時代といえます。
律令制の基礎となる「人(臣民)に税を課す人頭税方式」、つまり戸籍を整備して人に対して課税する税制は、偽籍の横行により機能不全に陥ってしまったため、かわりに土地をベースに「まるっと」税金を課す方式に転換することで、なんとか財政を立て直そうとしました。その過程で、税を取り立てる役割の国司が大きな裁量権を獲得し、中には私腹を肥やすことに精を出す役人が現れはじめます。
さらに、このような時代の転換点には治安は荒れますから、群盗が横行したという背景もありました。
横暴な国司や群盗から身を守るため、在地の豪族たちが武装を強化しはじめたことも、武士誕生の背景です。
現在伝わる将門伝説を紐解いてみると、彼がなした振る舞いの善悪はともかく、少なくとも「横暴なものから地域を守るヒーロー」としての姿が立ち現れます。
平将門という人物
平将門は、先のとおり桓武天皇の血を引く高望王流の在地豪族の一人です。その意味で、中央の貴族も一目置かざるを得ない人物でした。
さらに、成人してからの将門は戦をすれば連戦連勝の負け知らずであり、朝廷からはとてもおそれられていたことが伝わっています。その結果、地元の豪族や民衆たちからは絶大な支持をとりつけ、現在の関東一円をほぼ掌握するまでにいたります。
次稿では、そんな将門の生涯を、彼の事績をあらわした数少ない史料である「将門記(しょうもんき)」をもとにみていくことにします。
【著者プロフィール】
歴史噺家 けやき家こもん
昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。