「摂関政治の終わりと千葉一族前史」千葉一族盛衰記第二十二話【稲毛新聞2025年3月号】
時代の大転換期における千葉一族前史の血脈
忠常の乱の後、千葉一族前史の血脈は平常将、常長、常兼、常重へと引き継がれます。なお、通説では常重の代に、在地領主としての「千葉氏」が誕生したとされています。その件については、後の稿で詳述します。
この時期の日本の歴史は、摂関政治から天皇親政を経て院政へ変わり、平家が勃興してくるという時代の転換期でした。
源氏惣領家と千葉一族とのつながりにおいて重要な史実として、前稿では1051年から1087年までの期間に、間断的に東北地方で発生した戦「前九年の役、後三年の役」を取り上げました。今回は、常重、常胤の時代に発生する「相馬御厨問題」にもつながる、政治システムのダイナミックな転換期のお話しをしたいと思います。
摂関政治から院政へ

これまで藤原家が権力を独占していた「摂関政治」から、天皇親政・院政へと政治システムの転換が一気に進んだことは、「常将から常胤まで」の千葉一族黎明期の担い手たちにとって、大変重要なエポックでした。
その「重要さ」を理解していただくために、摂関政治と院政について簡単に説明します。摂関政治というのは、ごく簡単に言えば、藤原家が天皇の親戚となることで、藤原家に権力を集中させる政治システムのことです。 まず藤原家の惣領が、自分の娘を天皇や皇族の妻としてとつがせます。その結果、天皇や皇族と自分の娘との間にできた子どもが天皇となると、「天皇のおじいちゃん」として摂政や関白あるいは内覧といった要職に就いて、権力を掌握するわけです。
このシステムにより、約170年という長きにわたり、藤原家は「天皇のおじいちゃん」として絶大な権力を握り続けました。
その権力が頂点に達したのが、「この世をば 我が世とぞ思う…」とうそぶいた藤原道長の時代です。一方で、この時代は「藤原家の天下」であったが故に、荘園も「藤原家の利益のために、恣意的に」運用されていたところがありました。もちろん、歴代の天皇は何度となく「荘園整理令」を出して、荘園の審査・運用方法を改善しようとしましたが、なにしろおじいちゃんが「最大級の荘園所有者」である藤原氏ですし、実質的な権力者が藤原氏の惣領であることは誰しも知っている中での改革ですから、改革事業に任命された役人たちもできる限り穏便に、つまり「藤原家の利害を損なわないように」ことを進めたい。そんなわけで、摂関政治時代の改革は多かれ少なかれ「骨抜き改革」で終わってしまうところがありました。
さて、道長の後を継いだのはその息子である頼通です。彼もまた、結果的に50年の長きにわたって朝廷に君臨します。彼の権勢を直観的にご理解いただける代表的な事例をあげるならば、平等院鳳凰堂は彼が造営させた建築物だ、と言えば十分でしょう。
しかし、彼の時代に「最高権力システム」としての摂関政治は終焉を迎えます。その最たる原因は、天皇の后にした自分の娘に男子、つまり皇位継承者に恵まれなかったことによります。
天皇親政と荘園整理令
頼通の娘と天皇との間に男子が生まれなかったことから、「藤原おじいちゃん」をもたない天皇である後三条天皇が即位しました。彼が天皇の時代に行った荘園改革が、有名な「延久の荘園整理令」です。
先に述べた通り、この荘園整理令よりも前に、何度となく荘園改革は行われていましたが、どれも成功しなかった。しかし、藤原摂関家の圧力から解放された後三条天皇が行った改革は、藤原家や大寺社領をも審査、整理対象とする大改革となりました。
改革の成否を分ける「機関の実効性」を担保するために、後三条天皇は「適正な荘園かどうか」を審査する役割を地方長官から取り上げ、朝廷に集中させました。さらに、その審査機関には優秀な官僚を集めて、「記録荘園券契所」と名付けた実行部隊を組織するという徹底ぶりでした。
改革の内容としては、記録荘園券契所が荘園の権利関係を記した文書を審査し、その文書に不備があった場合、朝廷が荘園領主から荘園の所有権を取り上げることを可能にする、という実に苛烈なものでした。「律令制」とは、「天皇が土地を所有する」ことからすべてが規定されるシステムですから、後三条天皇が目指したのは「律令制の復活」と考えてよいでしょう。この改革により、後三条天皇は非常に大きな成果をあげました。
以上が、後三条天皇が天皇親政時代にあげた荘園改革に関する業績です。
寄進する側の衝撃
一方で、このような改革は「荘園を寄進する側」の在地領主たちにとっても大きな衝撃でした。
何しろ、これまでは揺るがない権力者として、荘園の寄進先としては最も安心できた藤原家の権力が衰え、もはや「審査対象」として荘園を取り上げられる可能性すらでてきたわけです。
万一、荘園が取り上げられその土地が国衙領になった場合、その土地は朝廷から派遣された「安房守」や「上総介」といった地方長官が徴税することになります。思い出していただきたいのは、将門や忠常の反乱は、地方長官の重税に対する反発が大きな引き金になっていたことです。
そこで次回は、「千葉一族前史の面々」がこの時代をどうとらえ、どのように生き延びたのか、について検証します。
【著者プロフィール】
歴史噺家 けやき家こもん
昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。