要人警護の実態と問題点【2022年8月号】
去る7月8日の日中、奈良県の近鉄大和西大寺駅前で、自由民主党の安倍晋三元総理が宗教団体に恨みを持つ男から銃撃され亡くなるという痛ましい事件が発生した。投票日の前々日に起きたこの事件は、参院選の行方に少なからず影響を与えたというのが選挙関係者の見方になっている。 (取材 今村敏昭)
野田元総理のSPが語る治安大国としての不安
男は手製の銃で安倍元総理の至近距離から銃撃し、警護のあり方に問題があったと厳しく指摘する声は多い。どんな不祥事があってもトップが非を認めることはないのが警察の常であるのに、捜査も検証も終わる前から奈良県警本部長自ら警護体制に問題があったことを認めている。これは「世界一治安のよい国、日本」の威信を揺るがす大事件となった。9月27日に日本武道館で行われる国葬には海外から多数の弔問を受けることが確実で、はからずも安倍氏の死去で日本を舞台に弔問外交が繰り広げられることになる。
目まぐるしく変わる報道の視点
事件をめぐる報道は目まぐるしく変遷している。安倍元総理銃撃の第一報には大多数の人が大きな衝撃を受けた。そして識者・関係者のコメントは「民主主義への重大な挑戦」で一致していた。
ところが、男が安倍元総理を襲った理由が政治的問題でないことがわかると、それが「宗教団体はどこだ」に変わり、警察が情報を隠匿しているとの批判に変わった。
そして、宗教団体が旧統一教会であることがわかると、旧統一教会の不適正な献金の在り方がクローズアップされるようになり、関係する政治家の情報が連日報道されるようになった。報道は、衝撃的な銃撃事件そのものより、旧統一教会の金集めの実態に対する批判にスライドしていっている。
一方、政府が国葬を決めると一斉に反対の声が上がってくるなど、国政は混乱している。安倍元総理が歴代最長在位期間であることやその功績を考慮すると国葬がふさわしいとの意見がある一方で、総理在任中の安倍氏を追求していた勢力からは国民の信任を得られないことを理由に国葬に反対する見解が示されている。海外から多くの弔問者の来日が見込まれること自体が安倍元総理の国際的評価であって、それこそが国葬にすべきであると根拠だとする声に対し、国葬にするにしても閣議決定で決めるのではなく、国会の審議を経るべきだとする声など、各界様々な対応が見られる。
SPの覚悟と油断
党首クラスの要人が街頭演説する際の街宣車の屋根上や上部看板の内側には、警察が事前に防弾シートを貼ることは知られていない。要人と一緒に立つ進行役の地方議員によれば、SPから「何かあったときはあなたも有無を言わさずいきなりなぎ倒します」と事前に言われたことがあり、厳重な警備体制がとられていることを実感させられたらしい。制服警官を配置して襲撃を断念させるいわゆる「見せる警護」のほか、聴衆の中に私服で紛れ込んで気づかれないように不審者の周りを取り囲む警護もある。これら警護担当者は常に薄っぺらい鞄を持っているが、これには防弾シートが入っていることは今回の事件で衆目の事実となった。
千葉県選出の野田元総理が退任し2年以上経過した後、県内のある士業団体の会合に出席した際の警護のSPに対する取材によれば、「総理退任後も3年程度は警護を続ける。総理退任後に襲われるようなことがあると、世界中に日本警察の失態をさらすことになるからだ」との警察内部の事情を答えてくれている。警護期間が終了したある要人は「やっとコンビニにいける。何時何分にトイレに行ったまで記録される監視状態から解放された」と冗談半分に語ったが、それほどしっかりした警護を受けていたことを表している。
安倍元総理を守ることはできなかったとはいえ、いざというとき、身を挺して要人を守る覚悟で任務に就いていることには敬意を表するしかない。事件現場でも同じ覚悟であったであろうことは疑う余地がない。だからこそ、男の接近をやすやすと許してしまったことが残念でならない。国の内外の警護の専門家から、隙だらけの警護であったとの指摘が多数寄せられているが、銃規制の厳しい我が国において、手製の銃による襲撃を予想しなかったか、あるはずがないという潜在意識が事件を許した要因だとしたら、数十年にわたって全国各地で積み上げてきた日本警察の無数の努力がいっぺんに崩れたようで、どうにもやるせない気持ちになる。
ある市議の話
「党代表が千葉駅東口で街頭演説したとき、大型の街宣車の上で準備していたところ、3人のSPが上がってきました。荷物を開いて街宣車の屋根上の立つところの床の部分と、周囲を囲む看板の内側にびっしり何かを張り巡らせました。銃撃を受けた時のための防弾シートだそうです。襲撃はないとは思いますが、万一の時は1秒遅れることで命を左右するから、その時は車上の全員をいきなりなぎ倒します。多少の怪我をさせることがあっても、命を優先しますと言われました。えっ!と思いましたが、これが本物の警護なんだと感動したことを覚えています」。
あるSPの話
「元総理をいつまで警護するかは、警察の上の人たちが決めます。ご本人の要望もありますが、総理退任後の襲撃を許すと、海外に対し日本警察の汚点となり、治安のよい国の看板に傷がつきます。事件はめったに起こりませんが、いつ起こるかもわかりません。だから、常に警護する必要があります。現職総理であれば物々しい警護体制をとりますが、退任されて時間の経過とともにソフトな警護にシフトしていくのが一般的です」。
9月には安倍元総理の国葬が予定されている。海外から多くの要人が来日し日本警察の威信がかかった未曽有の警備体制がとられるだろう。無事に国葬が執り行われることを願ってやまない。安倍元総理のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に謹んでお悔やみを申し上げます。