稲毛新聞創刊350号!おかげさまで30年目に突入!【稲毛新聞2025年11月号】
2025/11/6
稲毛新聞は1996年の創刊以来、休刊することなく今月で350号の節目を迎え、30年目に突入した。地域のニュースや情報を伝え続け、多くの読者に支えられながら今に至る。今号では、この350回の間に特に反響の大きかった2つのニュースを、当時の紙面を一部再現し振り返ることにする。
消えた5000万円ジャンボ宝くじの怪 【2001年4月号】

【当時の紙面より抜粋】
買った宝くじが、せっかく5千万円も当たっていたのに、肝心の当たりくじ券が無いため、「当選金を貰えない」というミステリアスな事件が千葉市内で発生した。この宝くじは昨年夏のサマージャンボ。当たりくじ券を購入した人が前後賞の5千万円が当たっていることを知らずに、売場窓口に持参して調べてもらったところ、シート(明細書)と小口の当選金6千円しか受け取らなかったのに売場側は「当たり券は返した」と主張、調査不充分のまま、被害者に対して意味不明の8万円を支払って、一応解決したことにしていたのである。
昨年10月、本紙はこの情報を入手、関係者や第一勧銀本店など取材したところ取材を妨害する不審な動きも出てきた。さらに追跡調査した結果、宝くじ売場で消えた券には、なんと5千万円も当たっている事実が判明した。 しかし、売場窓口から受け取った「高額当選券あり」と記されたレシートだけで5千万円は受け取ることができないと第一勧銀から通知された当選者は「8万円でうやむやにされるのは納得できない」と売場関係者を相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こす構えをみせている。摩訶不思議なこの事件はどう展開されるのだろうか?
【後記】
この記事が掲載された直後、各紙報道機関から稲毛新聞社に問合せが殺到したという。全国の地方紙がこの事件を取り上げると、その後は読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞など各一般紙やスポーツ紙、夕刊紙、週刊誌に加え、テレビ局にまで取材され、情報番組で全国的なニュースとなった。当時の主幹、故佐藤正成氏は「取材に追われる日々だった」と話していた。この報道をきっかけに、稲毛新聞には宝くじのトラブル相談が全国から持ち掛けられた。記事として取り上げることもあり、当時は辛口だった小紙だが、宝くじ関連の記事により「弱者の味方」というイメージも広まり、駆け込み寺のような存在になっていた。一方、5千万円をもらい損ねたと訴えていた方は、調停を申し立てたが不調に終わり、第一勧銀(当時)と売り場を相手に損害賠償請求の民事訴訟を起こしたとのこと。
買った宝くじが、せっかく5千万円も当たっていたのに、肝心の当たりくじ券が無いため、「当選金を貰えない」というミステリアスな事件が千葉市内で発生した。この宝くじは昨年夏のサマージャンボ。当たりくじ券を購入した人が前後賞の5千万円が当たっていることを知らずに、売場窓口に持参して調べてもらったところ、シート(明細書)と小口の当選金6千円しか受け取らなかったのに売場側は「当たり券は返した」と主張、調査不充分のまま、被害者に対して意味不明の8万円を支払って、一応解決したことにしていたのである。
昨年10月、本紙はこの情報を入手、関係者や第一勧銀本店など取材したところ取材を妨害する不審な動きも出てきた。さらに追跡調査した結果、宝くじ売場で消えた券には、なんと5千万円も当たっている事実が判明した。 しかし、売場窓口から受け取った「高額当選券あり」と記されたレシートだけで5千万円は受け取ることができないと第一勧銀から通知された当選者は「8万円でうやむやにされるのは納得できない」と売場関係者を相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こす構えをみせている。摩訶不思議なこの事件はどう展開されるのだろうか?
【後記】
この記事が掲載された直後、各紙報道機関から稲毛新聞社に問合せが殺到したという。全国の地方紙がこの事件を取り上げると、その後は読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞など各一般紙やスポーツ紙、夕刊紙、週刊誌に加え、テレビ局にまで取材され、情報番組で全国的なニュースとなった。当時の主幹、故佐藤正成氏は「取材に追われる日々だった」と話していた。この報道をきっかけに、稲毛新聞には宝くじのトラブル相談が全国から持ち掛けられた。記事として取り上げることもあり、当時は辛口だった小紙だが、宝くじ関連の記事により「弱者の味方」というイメージも広まり、駆け込み寺のような存在になっていた。一方、5千万円をもらい損ねたと訴えていた方は、調停を申し立てたが不調に終わり、第一勧銀(当時)と売り場を相手に損害賠償請求の民事訴訟を起こしたとのこと。
千葉ロッテ日本一!阪神を4タテ歴史的快挙【2005年11月号】

【当時の紙面より抜粋】
2005年プロ野球日本シリーズはセ・リーグ優勝の阪神と、パ・リーグ優勝の千葉ロッテが対戦。10月26日の第4戦で、わがふるさと球団「千葉ロッテ」が3―2で勝ち、阪神に4連勝。前身球団から数えて31年ぶり、千葉に本拠を移転してから13年目で初の日本一に輝いた。
とくに、今年のシリーズは4戦を通じて阪神に一度もリードを許さなかったのはシリーズ史上初めてで歴史的な快挙。さらに、最高殊勲選手(MVP)に選ばれた今江選手は8連続安打という新記録を達成するなど、ロッテファンは最高の気分を味わった。
バレンタイン監督が率いる今シーズンの千葉ロッテはスタートから強かった。先発の清水直、小林宏、渡辺、セラフィニ、小野、新人の久保投手、中継ぎの薮田、藤田、押さえの切り札小林雅投手を擁して前半は首位。しかしソフトバンクも強かった。後半で勝ち星を重ね首位を守り、4・5ゲーム差で千葉ロッテは第2位。プレーオフがなかったら今シーズンの日本一はなかった。そのプレーオフも難関だった。昨年の覇者西武を倒し、次は今年首位のソフトバンク。敵の本拠地で3勝しなければならない。
しかし、終わってみればソフトバンクに3勝2敗でみごとにパ・リーグ優勝の悲願を達成した。日本シリーズ1・2戦は地元マリンスタジアム。ロッテ応援団の声援を背に10―1、10―1と圧倒的強さで連勝した。3戦目から甲子園へ。マンモススタンドは阪神の大応援団がほとんど。しかし、ロッテは敵地で10―1、3―2と連勝。みごと日本一を達成した。
なお、千葉ロッテの日本シリーズ優勝に伴い、今月20日(日)午前9時30分から千葉中央公園から千葉県庁前・幕張ベイタウン周辺からマリンスタジアムまで優勝パレードを行う。
【後記】
千葉ロッテ日本一!小さな地元コミュニティである小紙にとって、この話題を取り上げることはある意味「悲願」だった。1992年に千葉に移転してから13年目になるこの年、マリーンズはシーズン2位だったが、プレーオフ(当時)で3位の西武、1位のソフトバンクを連破し、リーグ1位の称号を得て1974年以来、31年振りに日本シリーズに駒を進めた。そのシリーズでも圧倒的な強さで阪神に4連勝、日本一になり千葉市中心部や幕張での優勝パレードには多くの観衆が集まった。
マリーンズは5年後の2010年にもシーズン3位からクライマックスシリーズで2位の西武、1位のソフトバンクを下し、日本シリーズでは中日を破り日本一になっている。しかしレギュラーシーズン1位での優勝は金田正一監督が率いた1974年(日本シリーズで中日を破り日本一)までさかのぼる。今季はご存じの通り最下位で吉井監督が辞任に追い込まれた。来季はサブロー新監督の下、52年振りの悲願が実現するか楽しみである。
2005年プロ野球日本シリーズはセ・リーグ優勝の阪神と、パ・リーグ優勝の千葉ロッテが対戦。10月26日の第4戦で、わがふるさと球団「千葉ロッテ」が3―2で勝ち、阪神に4連勝。前身球団から数えて31年ぶり、千葉に本拠を移転してから13年目で初の日本一に輝いた。
とくに、今年のシリーズは4戦を通じて阪神に一度もリードを許さなかったのはシリーズ史上初めてで歴史的な快挙。さらに、最高殊勲選手(MVP)に選ばれた今江選手は8連続安打という新記録を達成するなど、ロッテファンは最高の気分を味わった。
バレンタイン監督が率いる今シーズンの千葉ロッテはスタートから強かった。先発の清水直、小林宏、渡辺、セラフィニ、小野、新人の久保投手、中継ぎの薮田、藤田、押さえの切り札小林雅投手を擁して前半は首位。しかしソフトバンクも強かった。後半で勝ち星を重ね首位を守り、4・5ゲーム差で千葉ロッテは第2位。プレーオフがなかったら今シーズンの日本一はなかった。そのプレーオフも難関だった。昨年の覇者西武を倒し、次は今年首位のソフトバンク。敵の本拠地で3勝しなければならない。
しかし、終わってみればソフトバンクに3勝2敗でみごとにパ・リーグ優勝の悲願を達成した。日本シリーズ1・2戦は地元マリンスタジアム。ロッテ応援団の声援を背に10―1、10―1と圧倒的強さで連勝した。3戦目から甲子園へ。マンモススタンドは阪神の大応援団がほとんど。しかし、ロッテは敵地で10―1、3―2と連勝。みごと日本一を達成した。
なお、千葉ロッテの日本シリーズ優勝に伴い、今月20日(日)午前9時30分から千葉中央公園から千葉県庁前・幕張ベイタウン周辺からマリンスタジアムまで優勝パレードを行う。
【後記】
千葉ロッテ日本一!小さな地元コミュニティである小紙にとって、この話題を取り上げることはある意味「悲願」だった。1992年に千葉に移転してから13年目になるこの年、マリーンズはシーズン2位だったが、プレーオフ(当時)で3位の西武、1位のソフトバンクを連破し、リーグ1位の称号を得て1974年以来、31年振りに日本シリーズに駒を進めた。そのシリーズでも圧倒的な強さで阪神に4連勝、日本一になり千葉市中心部や幕張での優勝パレードには多くの観衆が集まった。
マリーンズは5年後の2010年にもシーズン3位からクライマックスシリーズで2位の西武、1位のソフトバンクを下し、日本シリーズでは中日を破り日本一になっている。しかしレギュラーシーズン1位での優勝は金田正一監督が率いた1974年(日本シリーズで中日を破り日本一)までさかのぼる。今季はご存じの通り最下位で吉井監督が辞任に追い込まれた。来季はサブロー新監督の下、52年振りの悲願が実現するか楽しみである。






