No.24 諦めないから好きが仕事になる!新たな目標に向かう俳優「佐藤マリン」一宮町

  2022/8/30
シェア ポスト 送る

現在、舞台を中心に俳優として活躍している1996年生まれのマリンさん。
将来の夢を描いて頑張っている子ども達や子育て中の保護者に、どういう環境で
今のマリンさんが育まれていったのか?知って頂きたいと、ご本人にお話をお聞きしてきました。

2011年にオンパレードというダンスチームのメンバーとして、数々のダンス大会で優勝し、テレビの「スター☆ドラフト会議」にも出演したマリンさん。
中学生の頃から、地元の子ども達に公民館でダンスを教える先生としても知られていました。
彼女の育った一宮町は、マリンスポーツであるサーフィンやボディーボードなどをきっかけに移住されたかたも多い町です。彼女の両親もそう。

やりたいことは「体験する」を繰り返して「表現」の世界へ

15202208301813380.jpg
記者:ご両親の子育てについて今振り返ってどう思ってますか?
マリンさん:サーフィンに限らず、やりたいという気持ちが沸いたことは、まずは、体験させてみるというスタンスの両親でした。
そのおかげでピアノや水泳も含め色々な習いごとに、一度は通わせて貰いました。
そういう時にも、向かないと私自身が感じたことを親に話すと無理にやらせることはなかったです。
ただ、学校の勉強も習い事も自分でやると言って始めた事には、最後までやり遂げるようにとその点ではとても厳しかったですね。
ダンスは、フラダンスを母親が習っていたので一緒に通っていましたが、ヒップホップを知った小学生高学年に習いたいとお願いして、車で1時間掛かるスクールに通わせて貰いました。両親の負担を考えると今では感謝しかありません。

記者:進路についてどういう選択をしましたか?
マリンさん:どうしてもダンスを続けていきたかったので、地元から通える一般高校ではなく、東京芸能学園高等部を目指しました。
この選択が大きな岐路だったと思います。

自宅待機から絵で「表現」する取り組みへ

15202208301836180.jpg
記者:2年前から現在まで、コロナ禍の影響で舞台やステージなどの芸能活動が自粛されています。マリンさんはどうされていましたか?
マリンさん:ダンスのパフォーマーは、身体を使い様々なことを表現します。
俳優というお仕事を頂くタイミングで、声で表現することも楽しいと感じていた矢先、コロナ禍での舞台やステージのお仕事の延期やキャンセルが続き、正直、かなり下向きな気持ちになっていました。
15202208281652420.jpg
そういう時に母から、絵で表現することを進められて自宅待機の日々、また、違う方向での
取り組みも始めるきっかけになりました。どんな時もマイナスな事はないですね。

15202208281653120.jpg
※100点の動物図鑑を作成中

マリンさんからのメッセージ

15202208281656230.jpg
今の私は『人の心に残る俳優になる』という新たな目標に向かって、自分自身が納得するまで様々な体験や努力を惜しまずに進んでいきたいと思っています。
どんな選択でも挫折を繰り返しながらでも、諦めずひとつひとつ今の自分が出来ることを
やっていくことで、必ず、好きなことが仕事として出来ると信じています
秋に私が舞台で演技している姿を観に来てください。地元の多くの子ども達に未来は、自分が望めば好きなことで生きていけることを伝えたいと思っています。
どんなに大変でも好きな事なら我慢も努力も出来ますものね。
身近な会場で地元のかたが気軽に舞台を観覧できるようにご尽力お願いしたいと思っています。
宜しくお願い致します。
取材・ライター 女将こと牧由美
*掲載内容は取材日時点のものです。
15202208281737340.jpg
もばらって編集部
もばらって編集部
茂原市周辺を拠点に仕事や地域活動などに取り組む女性たちが集まって編集部を結成! 茂原市&周辺地域の人、物、場所、イベント、ニュースなど...
プロフィールや他の投稿を見る

シェア ポスト 送る