
千葉ジェッツ・原修太選手が母校・高根台中学校で出前授業 バスケ部員との1対1も
6/14(土)千葉ジェッツ・原修太選手が母校・高根台中学校で出前授業
バスケ部員との1対1も
千葉ジェッツふなばし・原修太選手の母校である高根台中学校(船橋市高根台3-3-1)の体育館で6月11日、原選手による出前授業「夢を育む集会」が行われ、原選手がプロ選手としての経験をもとに「夢を追うこと」の大切さを生徒に伝えた。
同校の学校教育目標は「夢の追求 ~自らの生き方を主体的に考える生徒の育成~」。同授業は、この目標に基づき、原選手の社会貢献活動「ハラの輪」プロジェクトの一環として実施された。同日は全校生徒約495︎人が参加し、原選手が体育館に姿を現すと、大きな拍手で迎え入れた。
今回の授業は対談形式で行われ、ジェッツのユニフォームを着用した同校のサッカー部顧問・溝口先生が軽快なトークで対談を進めた。「中学生の頃は身長何センチだったのですか?」という問いかけからスタート。原選手は「中学生の頃は身長160センチ台で体重45キロくらい。今は187センチありますが、当時は普通にみんなと同じ給食を食べていたし、プロテインなんて大学を卒業するまで飲んだことがなかった」と答える場面も。
その後、知人のつながりから習志野高校を目指すようになったこと、高校に行っても友達と一緒にバスケがしたかったため友達を習高に誘って、友達とバスケを続けたことなども明かした。当時はまだ今のようなBリーグがなかったころで、「そのときはバスケで食べていくという明確な夢はなかったが、大学で自分の実力に手応えを感じたことで、初めて『プロになりたい』という夢を持てた」と振り返った。
プロになってからは、厳しい指導に心が折れそうになった時期があったことや、時を同じくして「潰瘍性大腸炎」を患い入院したことも話した。入院中、約40日間、ボールが触れなかった経験をしたことにも触れ、「バスケができることは当たり前じゃない。バスケができるだけで幸せなんだと気づかされた」と話した。
プロでの活躍については、「富樫勇樹選手は、走れる、ドリブル上手、シュートも上手、なんでもできる。でも自分は富樫勇樹選手とはできることが違う。じゃあ、自分は何が得意なのか? 今のチームの中で必要とされている役割は何なのか?を考えることも大事だと思う」とも伝えた。
対談形式の話のあとには、生徒からの質問に答えるコーナーも設けられた。「緊張しない方法は?」という問いには「緊張はしていい。むしろ楽しめるようになれば強みに変わる」とアドバイス。「苦手なことより、自分の強みを活かすことを大切に」と力強く語った。
最後に同校の教育目標である夢の追求に触れ、「夢がある人は、その夢に向けて必要なことを考え、行動してほしい。夢がまだ見つからない人も、自分は何が好きなのだろうかと考えてみたり、自分だけでは情報収集が足りない場合は、ぜひ先生や両親の声に耳を傾けてもらいたい。あとは小さな目標に向かって走るのもいいと思う」と述べた。
「例えばテストで何点取ろうとか、部活の大会で何位を目指そうとか、小さな目標を大切にすれば、やがてそれが夢につながり、自分のなりたい大人になれると思う。だから毎日の生活を大切に、楽しみながら学校生活を送ってほしい」と後輩たちに熱いエールを送った。
講演後にはバスケットボール部の代表選手4人それぞれが、原選手との1対1対決や全校生徒との記念撮影も行われ、会場は笑顔と拍手に包まれた。 1対1を終えたバスケ部員の女子は「原選手が一番好きな選手。もう、どうしようかと思った」と興奮した様子で話し、ジェッツの「6TH MAN CLUB」プレミア会員で応炎してきた生徒もいるなど、バスケ部員たちは「原選手は大好きな選手」と口をそろえた。