船橋の無形民俗文化財「大仏追善供養」、漁師たちが大仏に白飯を盛って供養

  2024/3/3
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3/3(日)船橋の無形民俗文化財「大仏追善供養」

漁師たちが大仏に白飯を盛って供養

 船橋駅の南側にある不動院(船橋市本町3-4-6)で2月28日、「大仏追善供養」が行われた。

 主催は船橋市漁業協同組合(湊町1-24-6)で、漁師や市民ら約100人が参列した。同行事は、大仏に白飯を盛り上げるようにつけるという全国的にも珍しいもので、船橋市の無形民俗文化財に指定されている。

 供養に先立って不動院住職・上田則夫(そくふ)さんが行事の由来を説明した。大仏が建立されたのは、1746(延享3)年。当時、この地域には真言宗、浄土宗、日蓮宗の9つの寺があり、その3宗派の代表の名が台座に刻まれている。80数センチの石仏とはいえ完成まで1年はかかる大事業で、寺町の総意で作ったのには強い思いが込められている。大仏は漁師の守り神として大切にされ、津波などの災害の犠牲者らを供養してきた。

 建立から78年後の1824(文政7)年、漁場をめぐって近隣と争いが起こり、介入しようとした一橋家の武士を船橋の漁民が殴打するという事件が起こった。その責任をとって漁師総代3人が牢につながれ一人は獄死、一人は出牢後まもなく亡くなった。死をもって漁場を守ろうとした総代らを悼み、毎年同日に漁師が集まるようになった。石仏に白飯をつけるのは牢内でのひもじさに思いを馳せてのことだという。

 供養は、3宗派代表として名を刻んだ「覚王寺」「浄勝寺」「行法寺」が交代で住職を出して続けられ、今年は覚王寺の導師がお経を唱えた。読経後、漁師らが白米を大仏につけ、さらに一般参加者がそれに続いた。近隣からの参列者は「午後には、船橋小学校や湊小学校の児童らも白飯を盛りにやってくるはず」と話した。

 行事を終えて、船橋市漁協組合長の中村繁久さんは「先人は地震や津波にあっても助け合って乗り越えてきた。そのことを胸に刻んで供養させていただいた。漁業など一次産業は厳しいが魅力を感じてもらえるよう努力したい」と話した。

  • 漁師らが大仏に白飯をつける

  • 希望者は飯盛りに参加できる

  • 中村漁協組合長

  • 上田住職(手前)と覚王寺導師

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