【八街市文化財】陣場、そこは戦国時代の合戦場だった。
時は1582年(天正10年)といえば、1467年から120年続く、戦国時代の末期。
そしてこの年はある歴史的な出来事で有名だ。
そう「本能寺の変」である。
織田信長の家臣である明智光秀が突如謀反を起こし、襲撃した事件の事。
日本人なら誰もが知る?日本史上で最も有名な事変ともいわれている。
本能寺の変を楽しく勉強したい方はエグスプロージョンの、踊る授業シリーズで学んでみよう。
さて、そんな戦乱の世は現、千葉県八街市でも起こっていた。
陣場(じんば)とは
陣場とは陣を取った場所であり、敵を迎え撃つための砦などを指す。
いわゆる陣地のことだ。
東京都と神奈川県の県境に位置する「陣馬(陣場)山」は、名前の由来として、武田氏が陣をはったという説がある。
八街市にある陣場も例にもれず、実際に敵を迎え撃つために作られたようだ。
八街市の陣場
1582年3月、小間子(おまご)吉田の原の戦で、土気の酒井胤治(たねはる)に敗れた、山武の椎崎三郎勝任(かつとう)は、飯櫃(いびつ)村(現芝山町)山室山城守の陣屋に引き上げ、再起を図ろうとしていた。そして先発隊を発進させる。
しかし、問題が起きてしまった。先発隊が向かうべき場所は飯櫃(いびつ)村であったが、実際向かってしまったのは、飯積(いいづみ)村(現酒々井町)であった。
途中で間違いに気が付いたが時すでに遅く、やむを得ず高崎川の谷津(自然の浸食によりできた谷)を頼みに陣地を構え敵と戦った。
しかし、陣地を構えるが、椎崎軍は再び敗れてしまう。
もし当初の予定通りに飯櫃村で再起を図っていたら、結果はどうだったのだろう。
さて、椎崎氏が陣地をとった場所が、今回の陣場というわけだ。
場所の詳細
陣場といっても現在は広大な原っぱなどではなく、近くは住宅街とグラウンドがある。
クルマを止めるスペースがないので、訪問にはバイクやバスなどの方がよさそうだ。
また、地域の生活道路であり、抜け道として使う人も多い為、路上駐車などはやめましょう。
◆営業時間: | |
24時間 | |
◆定休日: | |
無 | |
◆駐車場: | |
無 | |
◆住所: | |
千葉県八街市文違 MAP | |
◆アクセス: | |
八街市ふれあいバス東コース ハーモニーバス停より徒歩10分 時刻表 | |
◆TEL: | |
043-443-1464 (八街市社会教育課) |
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