多くの人が見守る中「津田沼パルコ」が閉店、レーザー光線で感謝のメッセージも
3/2(木)多くの人が見守る中「津田沼パルコ」が閉店
レーザー光線で感謝のメッセージも
街のシンボルとして親しまれてきた「津田沼パルコ」(船橋市前原西2-18-1)が2月28日、45年8カ月の歴史に幕を閉じた。
同店は、JR津田沼駅前に1977(昭和52)年7月に開業し、若者を中心にファッションや文化の発信地として多くの人に親しまれてきた。しかしながら、店舗を取り巻く商業環境の変化や建物賃貸借契約の満了時期をふまえ、閉店することが決まった。
閉店会見には、松戸徹船橋市長や宮本泰介習志野市長らも参加。松戸徹市長は「私が大学に入った年に渋谷パルコができて、ファッションやカルチャーの中心的な存在となっていた。そのパルコが津田沼にできた時はとてもうれしかった思い出がある。多くの人に愛されてきたパルコに心からありがとうと伝えたい」と話した。
宮本泰介市長は「パルコのおかげで船橋と習志野の商店会同士の絆も深めることができた。また、パルコの献血ルームは県内で2番目に献血量が多い。若い人を集めてくれたパルコのおかげ」と感謝の言葉を話した。
35年間という最も長く在勤した「ハイストリート」の代表・山岸昭宏さんがテナント代表として出席し、「景気や災害、コロナもあり、山あり谷ありの35年でしたが、最終日にこの場所にいられて幸せ。これまで支えてくれたお客さまに感謝の気持ちでいっぱい」とあいさつし、テナントスタッフらに向けても「健康第一でがんばってほしい」と呼びかけた。
「初めてのデートの場所」「ベビー服を買った思い出がある」など同店の多くの思い出がSNSで上がっているのを読んで、胸が熱くなったと話す店長の野口香苗さん。「2年前の閉店が決まった時、商店会の方に説明するときはお叱りを受けると思ったが、あたたかい言葉をかけてくれて本当に感謝している。商店会やJR津田沼駅、イオンの方など『オール津田沼』で開催した12月のプロジェクションマッピングは、忘れられないイベントになった。最後の日まで、たくさんの人に来てもらってありがたい気持ちでいっぱい。最高のエンディングになった」と話し、「津田沼が引き続きパワーのある魅力的な街であってほしい」とも話した。
閉店時刻の21時にはネオンサインや壁の照明が一斉に消灯し、津田沼パルコA館の壁面にレーザー光線で「Thank you TSUDANUMA!」とのメッセージが投影されると、壁面バルコニーに立った野口店長はスタッフらと一緒に駅前に集まった多くの人たちに手を振り、「津田沼パルコはとても幸せな45年間でした。ありがとうございました。バイバイ」と別れを告げた。
また、同日、JR津田沼駅の協力で津田沼駅の総武線快速1・2番線の幕張方面側ホーム1枚のみ駅名を1日限定で「つだぬまパルコ駅」に変更した。当初、終日掲示される予定だったが、予想以上の人が集まったため、安全性の問題から15時で終了となった。
B館の建物は、新たな商業施設「Viit(ビート)」となり、3月16日から献血ルームを含む10店舗が順次オープンし、9月までに約30店が開業する予定だという。所有者が違うA館は閉鎖し、三井不動産レジデンシャルが取得することが分かっている。