船橋駅近くの不動院で「大仏追善供養」、大仏に白飯を盛る珍しい伝統行事
3/3(金)船橋駅近くの不動院で「大仏追善供養」
大仏に白飯を盛る珍しい伝統行事
船橋駅近くにある不動院(船橋市本町3-4-6)で2月28日、大仏の追善供養が行われた。
主催は船橋市漁業協同組合(湊町1-24-6)で、同行事は江戸時代、文政8(1825)年頃から毎年同じ日に行われている伝統行事である。
その昔から船橋沖は好漁場で、江戸時代の初期からは幕府に魚介を献上する「御采浦」(おさいのうら)とも呼ばれていた。漁場の境界に関して近隣との係争も多く、浦安(当時は「猫実村」)との争いの中で、侍を殴打したとして漁師総代3人が入牢させられ、うち2人が牢死したという歴史がある。この大仏は、1746年の津波で溺死した漁師や住民の供養のために建立されたともいわれているが、漁場を守ろうとした総代3人への供養も併せた行事になったといわれている。
追善供養は、コロナ禍の中でも規模を縮小しながら実施されてきた。漁協の関係者や漁師、地域の人たちが集まり、地域の3つの寺(浄勝寺、行法寺、覚王寺)が交代で住職を出し、大仏のある不動院の住職と協力して供養を続けてきた。大仏の顔や身体に「白米の飯」を盛り上げるようにつける供養は、牢内で食が乏しかったことを償うためと伝えられている。
供養に来ていた海老原義則さんは「この日は毎年参加するようにしている。酒を備えて先人の覚悟に思いを馳せる。長く続く伝統行事は大切に守りたい」と話した。
「時間のある時に大仏さんの清掃をさせていただいています。お花も店で残ったものが主だが、きれいにお備えしたい。歴史ある仏像をお守りするのは習慣になっています」と話すのは、門前で生花店を営む風間和浩さん。
不動院住職の上田則夫さんは「大仏様は80cmほどの小さな坐像。不動院の周辺は漁師町の中でも特に寺町と呼ばれ、江戸時代から多くの寺があった場所。宗派を超えて大仏様造立に関わり、守ってきたことが台座の彫刻からも分かる。伝承されている記録に不合理も見つかっているので研究したい」と話した。
漁協職員の丸山秀雄さんは「湊町は漁師町で祭好きがたくさんいる。伝統の追善供養など行事を守っていくのは大変だが、その分、地域の絆は強くなると思う」と力を込めた。