「下総三山の七年祭り」は神事のみの開催、「みこしを担げず寂しいが、祭りができてよかった」
11/1(月)「下総三山の七年祭り」は神事のみの開催
「みこしを担げず寂しいが、祭りができてよかった」
千葉県の無形民俗文化財に指定されている「下総三山の七年祭り」の大祭が二宮神社(船橋市三山5-20-1)を中心に、10月29日~10月31日かけて行われた。例年は、9つの神社の神輿が集結する祭りとなるが、今年はコロナ対策のために神事のみが執り行われた。
同祭りの起源は、いくつかの言い伝えがあり、そのひとつは、500年以上前に幕張城主の馬加康胤(まくわりやすたね)の妻が臨月を過ぎてもなかなか出産の様子がないので心配し、二宮神社、子安神社、子守神社、三代王神社の各神主に幕張の磯辺の地で安産を祈らせたのが始まりともいわれている。
例年であれば9つの神社がそれぞれ役割を持ちながら、祭りを進め、その最大の見せ場「安産御礼大祭」では、二宮神社に神輿が集まり、境内やその周辺は人々で埋め尽くされるほどとなるが、今年は人が集まることを避け、神事のみが執り行われる形となった。
各神社の役割とは、二宮神社は父、子安神社(千葉市花見川区)は母、子守神社(千葉市幕張町)は子守役、三代王神社(千葉市武石)は産婆役、菊田神社(習志野市津田沼)は叔父、大宮大原神社(習志野市実籾が叔母、八王子神社(船橋市古和釜町)は末息子という役割をそれぞれ担い、生まれくる子どもを家族で大切に迎え、神様に感謝するという昔からの思いが受け継がれている。
祭りは神社の神輿が二宮神社に参内し、前回の七年祭りの時に生まれている稚児(ちご)の参列があり、産土の祭りとして盛大に行われる。
29日には「禊(みそぎ)式」が行われ、30日は「安産御礼大祭」が二宮神社で行われた。同日、朝8時前には、二宮神社の神輿が庫出しをされ、拝殿前に飾られていたが、神事が始まると、一般参加者は通用門から拝殿へ通じる広場で儀式を見守る形で参加した。
三山の二宮神社の神主や氏子が最初に参道の階段を上がって参内し、拝殿で神事を行った。その後、9つの神社の代表や氏子が、1社ずつ間をおいて次々に参内して神事が続けられ、最後は子守神社が務めた。各神社の参内が始まると力強い金棒の音が響いて、一行の参拝を力づけていた。6年前の祭りの年に生まれた稚児も男女各一人が参列し、周囲の注目を集めていた。
夕方に神事が一旦終了すると、31日の深夜には、元々海岸があったという幕張の一画に「磯出御旅所」が設けられ、同所に二宮神社(父・夫役)・子安神社(母・妻役)・三代王神社(産婆役)・子守神社(子守役)の4社が集まり、安産祈願の神事が行われた。
二宮神社の神輿庫前で祭りを見守っていたみこし会の大久保さんは、20代の頃から50年以上神輿を担いでいるという。「コロナの影響でここ2年間、みこしを担いでいない。寂しいね」と話した。
神楽で笛などを教えている小川さんは「個人では練習していると思うが、1年半も合わせた練習ができていない。モチベーションが下がっているので、早く練習を再開して、ワクワク感を取り戻したい」と祭りへの思いを話した。
同じく祭りを見物に来ていた土橋優さんは「制約の中、みこしを出せないのは寂しい。6年後の次の祭りには参加できるかわからないよ。でも天気が良くて祭りができたことがうれしい」と胸の内を明かした。
磯出式を見物に来ていた千葉市に住む主婦は「いつもはもっとたくさんの人でこんなにじっくりと神事を目の前で見られたことはない。ある意味、特別な年ね。ラッキーだわ」と、いつもとは違った雰囲気の七年祭りを楽しんでいた。