東中山で奈良・平安時代の住居跡を多数発掘、 土器や貝層から当時の暮らしを推測

  2023/6/2
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6/2(金)東中山で古墳時代後期・奈良・平安時代の住居跡を多数発掘

土器や貝層から当時の暮らしを推測

 船橋市東中山2丁目で発見された古墳時代後期から奈良・平安時代にかけての遺跡の「本調査」が5月10日から始まって1カ月近くが経過し、広範囲にわたって住居が密集していた様子などが明らかになってきた。

 この地域は「東中山台遺跡群」と名づけられ、多数の遺跡発掘が行われており、今回の発掘調査と合わせ、この地域の当時の暮らしが明らかになると期待されている。

 発掘現場で指揮をとっていた船橋市埋蔵文化財調査事務所(船橋市二和東5-32-17、TEL047-449-7153)調査担当の山口晃さんは、「現在まで多くの住居跡が見つかり、その中から杯(つき。ものを盛る)や甕(かめ。ものを煮炊きする)などの遺物(いぶつ)が出土し、また貝層も見つかっている。調査中なので詳しいことは調査結果を待たなければならない」と断ったうえで、現時点の調査内容を説明した。

 調査現場で、黄色い土の中に黒っぽく見えるのが住居跡だという。関東ローム層の地盤を掘って住居としたが、時間が経って使わなくなり、そこに別の土が入り込むことでその跡が残ったものだとも。

 住居跡に入り込んできた土の上には、壊れるなどして使われなくなった杯や甕などの土器が捨てられる。それらの土器は、その形状と焼き方によって土師器(はじき。低温で野焼き)と須恵器(すえき。高温で窯焼き)に区分され、時代を図る重要な手がかりになる。したがって、土器が発見された住居内での位置、床面からの高さを正確に記録することが時代を判別するための重要な作業となる。

 住居には、粘土や砂で竈(かまど)が作られ、赤く変色した焼土がのぞいていることから、穴を掘って火を焚く「炉」の時代から進んで、より高度な調理ができる「台所」が形成された証拠なのだともいう。

 今回見つかった貝層は、主にハマグリで、当時の人たちがハマグリを選んで食していたことがわかり、動物の骨も残されている。また、貝層に残された土器なども時代を示しているという。

 「それらの出土品から、古墳時代後期から奈良・平安時代にかけての時代、つまり7世紀~9世紀頃だと推測できる」と山口さんは説明した。

 「その時代、この地域では人びとは台地で生活していた。これまでの調査から、市川市の国府台、下総国分から船橋市の東中山台、印内台の一帯に豊かな集落が栄えていたことがわかってきた。発掘が一段落したら、この現場の見学会を計画しているので、実物を見て昔の人びとの暮らしに思いを馳せていただきたい」と呼びかけた。

  • 色の濃い部分が住居跡

  • 出土した位置と高さを特定する

  • 赤い焼土が残るカマド跡

  • 貝層から当時の食生活が見える

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